旅の二日目 9月9日(日曜日) 黒部峡谷鉄道


富山地鉄で桜橋停留場から富山電鉄駅へ8:12発+++++宇奈月駅9:50着


宿泊した富山マウンテンホテルの前に「桜橋」の富山地鉄停留場があった。

     
 バイキングの朝食 美味しく欲張って・・・    



         
 富山電鉄駅入口    駅構内に富山らしい漢方薬のツルハ薬局が・・・    宇奈月へ向かう富山電鉄列車


         
列車の 内部    走る列車の窓からの景色・・・川の水が少ない    高圧線の塔の形がいつも目にしているものと
異なっている


立山+++++大町
関門トンネルは、1000人の作業員で昭和31年から7年の歳月を経て完成したもの。当時の513億円の費用=黒部峡谷の電源開発の歴史
四つのダムと10の発電所があり年30億KWHの電力を生み出している。黒四ダムだけではありません。北アルプスから流れる全長86Kmの黒部川(暴れる川)
黒四ダムは、日本一高く186mあります。大正12年工事着工、宇奈月温泉はその時造られた。資材を運ぶためにトンネルを建設。今はそのトンネルが遊歩道
になっている。トンネルの途中から新山彦橋を走るトロッコ列車見える。

昭和28年観光を目的としたトロッコ列車が走るようになり新柳原発電所が1993年(平成5年)完成した。

一人の科学者、高峰譲吉(1854〜1922)が暴れる川を発電にと考えたことが今になって自然開発の電力となって人々に大きな貢献したことになる。
作業員の多くの犠牲に、私たちはその恩恵を感じながら楽しませていただくのである。



宇奈月からトロッコ列車(日曜日なので予約しておいた)に乗って欅(けやきだいら)平へ+++ホテルが駅から3分ということであったのだが
 10:03発のトロッコ列車に間に合わなかったら大変と思い、駅のロッカーに荷物を預け乗車。

 トロッコ列車の路線総延長延長=20.1kmをけたたましい軋み音(ギぃ〜〜ガガガガァーーーー)を立てながらトンネルを潜り抜けながら
軌間=762mm、電圧600V(直流)、全列車が機関車牽引による客車列車、フルオープンの開放型、パノラマ車の特別列車など楽しめる。


いよいよ待望のトロッコ列車に・・・・行きは開放型=実際の乗車して耳を塞ぎたくなるような軋み音に車内案内放送も聞こえないほどだ。

 ヨーロッパのアルプスを彷彿させる駅舎   乗車した開放型トロッコ列車     機関車は2連で頑丈な作りに感じる
         
右の円柱の建物は発電所である

トロッコ列車から見られた風景のセレクトした写真

 

猿専用の吊り橋である説明が車内放送で知った。
帰りにその事を思い出し吊り橋を見ていたが
パノラマ列車であったため窓ガラスを開けること
がわからず、可愛いサルの10数匹を撮影でき
なかった。このことを今も非常に残念に思っている。

お猿さん専用の吊り橋
   


 
後曳き橋    美しいブルーの橋
 


 ローマの水道橋と同じ役目のものが見えた    出し平ダム  水量の少ない中よく撮れている 
         

工事用の台車


  開放型トロッコ列車からパノラマ列車を見る    黒部川第二発電所    
         


 欅平と宇奈月の経路    人喰い岩    祖母谷川の流れ ・壮観な眺め
     

岩壁をえぐり取って作られた歩道
   
水量の多い時にはもっと激しい流れが見られたのでしょうね。


宿泊は、黒部峡谷の駅3分の「フィール宇奈月」に戻ったのは14:37でした。ここから10分ほど歩いた「やまびこ展望台」からトロッコ電車がトンネルから出てくるとの撮影できるとあって
急ぐ。ゴミ袋を下げた二人の男性に場所を聞き時間のロスをなくする。富山マウンテンホテルのカウンターにいた女性とバッタリ!彼氏とデート中でした。(*^_^*)

 とっておきの面白い話「おい、トイレからどうしたら出れるんだ」と、夫の声
どうやら、このみたことないDoorのノブにあるらしいと判断しいろいろ試してみた。
青の部分については、注意書きがされていた。黄色の部分は、左に凹むので
凹んだ状態で引くとドアが開いた。新しい発見のドアノブでした。
  トロッコ列車の動画 
     

「やまびこ展望台」で、宇奈月駅着トロッコ列車を待つ。

動画で写した。16:30頃


「フィール宇奈月」に宿泊

夕食がビール館で食べることに・・・・・バスが迎えに来て行ったものの食べるものが少なく拍子抜けであった。17:46 ホテルに戻る。

温泉はアルカリ性の源泉かけ流しでヌルヌル、とても良かった。ここで情緒障害を抱えている男の子5歳を見る。母親は、専門機関に行っていない模様で
苦労が絶えない様子で見るに耐えなかった。温泉内の床に胸を滑らせ足を上げ両手で動きまわり、母親は抱えて洗うが暴れどうしであった。