慰霊堂 昭和9年の函館大火で2828人が亡くなられこの慰霊堂を昭和12年5月基礎工事に着手 |
2013年3月23日 墓参りの帰り、立ち寄った慰霊堂。このとき持参していたレンズが望遠であったため全体を撮影できず、帰宅後パノラマ写真にした。
下の記念塔は慰霊堂を建立した時の商工会議所副会頭宮本武之助氏が寄進したもの。上の写真の右端に当時の市長である坂本森一之碑が見えている
2012年8月14日 函館山山頂目指し登山。 ちょっと足を伸ばして山頂手前を左に歩を進め77年前の歴史探訪 太平洋戦争においてあまりにも旧式すぎて使用できなかったという旧砲台跡と伝声管をテレビで放映されていたので 見てきた。きれいに整備されていて東屋があり観光地として名を売っているのだ。 |
2011/11/1 函館市民の水道水源(笹流れダム)は、大正12年[1923年]に完成した日本初のバレットレスダム・・・平成13年[2001年)には 土木学会推奨の「土木遺産2001」に選定されました。 この時期は、紅葉が美しく市民の憩いの場所になっています。ダム湖にはマガモや魚がいました。 |
随時追加
2011年6月 明治2年に創設された近代水道今も健在。当時の技術の高さに誇る配水場。
公園になっていて、芝生の下は配水池になっている。噴水等は、22年前に整備されたもの。
遠くの赤レンガの建物は管理事務所 | 函館山のロープウエイが下りてきている景色 | 憤死の水がしたたり落ち下の水の噴水を砕くおもしろさ |
2011年4月
質素倹約で巨万の財を積み、社会公共のためにはこれを擲(なげう)って 惜しまなかった 北海道で屈指の豪商宅 市役所、公会堂、病院の土地 等の寄付。歴史保存建造物として・・・・・ |
→ 大正2年に建てられた鉄筋コンクリート電柱 日本最古のもので今も耐用年数を超えて使用されている。 函館市末広町 レストラン五島軒横の坂を下りてきたところ に2本ある。 |
北海道の観光土産を代表する木彫りの熊のルーツを辿る
道南の八雲町の郷土資料館に木彫り第一号の作品が展示されていた。大正13年に製作されたもの(右写真)
手本になっている木彫り熊は、手のひらに乗っかるほどの可愛らしいものである。徳川の最後の殿様が大正10年にヨーロッパ旅行され、厳しいスイスの冬で収入源となっていた木彫り熊を、北海道に持ち帰ったとの事。アイヌの人々は、熊を大切にしていたが、狩猟の折には熊の険しい顔に遭遇しているわけで、このような怖い顔の木彫りになっているのだろう。
1/30 旧弥生小学校
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安政4年(1857年)7月に竣工し、昭和63年に復元された 箱館丸のレプリカ:続豊治親子建造 箱館丸は、マスト2本以上使用した「スクーネル型」 箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に 伴う外国船舶との交渉上、幕府所所属の船舶が必要という ことで許可した。このことは 日本の造船界に偉大なる貢献をもたらした。 日本人の創造設計による日本で最初に造られた洋式帆船であり 函館の人により函館で造られた。 巨大な船体は見るものを圧倒する。 細部のしっかりと復元されていると書かれていたがシートで 覆われていて見られなかった。 続 豊治(つづきとよじ)については、左記クリック |
旧函館公会堂 明治43年(1910年)に建てられた左右対称の コロニアルスタイル。ブルーグレートイエローの 色が特徴的な美しい建物。明治44年には 大正天皇が皇太子殿下として行啓の際、宿舎 として使用された。 昭和49年に国の重要文化財に指定された。 館内は130坪の大広間など、当時の華やかな 雰囲気をそのまま残している。 函館港を見下ろす高台に立っている。 |
旧今井デパート 今は地域の振興や観光案内所に使用されているようだ。 |
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2009/9/1 現在の景色 「ハイカラ号」観光電車が中央に見える |