ANA’S ニューフリータイム ウィーンへの旅

1997年5月2日〜5月10日(前後泊含む)

                            グロリエッテからウイーンの街を・・
           
                      遠くにホーエンザルツ城が・・

二人だけでの海外旅行は初めてである。緊張の連続であったが、今となっては一番の思い出になっている。これからは出来ないであろう。言葉がドイツ語圏で、飛行機がオーストリア航空と全日空の協同便。真っ赤なユニホームを着たスチュワーデスさんがオーストリア人、英語でお話をされている
旅の目的は全く知らない国へ出かけて二人だけで観光する冒険、そして国立オペラ劇場でオペラを観賞すること。
準備としては、AustriaBookを買って熟読しDamen(ダーメン)女子トイレ、W.C(ベーツェ)男子トイレ、と言った具合に学習し、オペラのチケットも予め旅行会社にとってもらう。(座席表も送ってもらった)

宿泊は、Renaissance Wien hotel 一カ所にして、毎日ここから出かけるようにした。

交通機関は
一週間のパスを買って地下鉄、電車、バスにがんがん乗って、時にはタクシーを利用。後はとにかく良く歩きましたね。それだけに何処をどのように歩いたか頭に残っているような感じがする。地図は全てドイツ語で書かれている。

                                           
             

計画と下調べのために買った本 旅行会社と空港から受け取ったもの 一週間フリーパスの券と地下鉄路線図


                

ドイツ語のみで書かれたウイーンの地図です。
折り目が切れるほどに利用して歩き、乗り物は地下鉄、
バスも利用しました。大切な記念の地図となった。
オペラ「スティッフェリオ」の座席表(一階の右よりの座席であった)
とてもよく見え、声の出る様子までも解る場所であった。
 

5月3日  前日大阪のホテルに泊まり、シャトルバスで関西空港に着いた。荷物を預けたり航空券搭乗券・・複雑に思えて目が白黒、緊張の時間が過ぎて、出入国審査を受け、ゲートへ。
AustriaAirPlainに搭乗・・・真っ赤な制服で背の高いオーストリアのスチュアーデスさんが私の側に来て「Coffee? GreenTee?」と、声をかける。私はCoffeePreaseと答える。心の中でドイツ語が話せたら楽しいのに・・・と思っていた。
約13時間のフライトでウイーンに到着。国際空港といった雰囲気のしない通路通って出口へ。ハローツアーの出迎えのアルバイトさんが名札を持って立っていた。中年の日本人女性で、ホテルまで連れて行ってチェックインまでサポートする。この先は私たち二人で行動することとなった。
夕食はホテルの近くですませ、地下鉄駅まで歩き、タバコや風の店で一週間乗り放題の切符を買った。
四つ星ホテルと言うことだが古いものを大事に使用しているといった感じである。シャワー器具などもごっつくて鉄で出来ているように思えた。

5月4日  朝食がすこぶる良く、これには大助かりであった。言葉が自由にならない私たちにとって、朝食をしっかり食べておくと後がひもじい思いをしなくてすむからである。バイキングなのだが、パンやチーズ、ハムやヨーグルト、飲み物など種類が豊富なのである。お腹一杯食べて出かける毎日が続いた。
この日はオペラのチケットをベルビューホテル2Fミキに地下鉄U4に乗って受け取りに行くことから始まった。ミキの場所が違っていたりして時間がロス多く、予定が狂いだした。汗だくになり喉が渇きチケットを手にした時には昼近くになっていた。
シュテファン寺院(334段上り、地下の遺体の内臓などが保存されているところも行ってみたが、印象として残るものではなかった。)
ガイドブックを片手に一人で歩いている日本人男性に写真を撮してもらったが、暗くて内部が良く写っていない。夜はウイーンアカデミー楽友会ホールでのコンサートに出かけた。(日本でチケットを手に出来ていたのだが、座席を探せずチップを使って連れて行ってもらった。世は金なりである。ホールは金ぴかであったがドアの外はコンクリートで殺風景なのには興ざめであった。
、疲れた
王宮裏手で地図を広げ入口を捜す シュテファン寺院の中で 楽友会ホール


5月5日 中央郵便局を探す(地下鉄に乗り地図とにらめっこしながら、時には片言英語で道を訪ねながら)日本円をチェンジするために。事前学習するために買った本によると、中央郵便局がレート有利と言うことであったことと、自分たちで探しながら行くことの冒険も兼ねていたのである。
この日は、ドナウ川(国連) ベートーベンのフィガロハウス
 ホーティフ教会 モーツアルト像を見てドブリンガー(本屋)で楽譜を買う。
夕方、マクドナルドでハンバーガーなど買い一度ホテルに戻って夕食。服装を整えOPERへ向かった。オペラは、ヴェルディ作曲「スティッフェリオ」 19:30〜。日本にいる時から座席表は貰ってあったので、すぐ座ることが出来た。前から6番目の右から1〜2である。歌っている人の顔もよく見え、声の響きも素晴らしく、さすが本場で・・・と思う。コックピットのウイーン交響楽団もかいま見ることが出来た。感激!

ドナウ川の側に立つ フォーティフ教会を背にして立つ あこがれの国立オペラ劇場
世界の3本の指に入る劇場


王宮横の様子 フィガロハウスで、ベートーベンのピアノに肘かける ヴェートーベン


5月6日 鉄道の旅(Sarzburugへ) Wien西駅8:30 所要時間13時間(JTBの催行に参加)
この日は天気も大変良く気温22°、最高の観光日和である。
この日早朝4:22、突然テレビがついて目が覚めた。16:30ホテルに戻って部屋に入ったとたんお風呂の天井からラジオが聞こえてきた。何処がどうでこのようになるのか、探してスイッチを切るのが大変であった。

苦情はドイツ語でしっかりと話したら、解ったようで頭を下げていた。(ドイツ語の本が役立った)
列車に乗るまでの世話は学生アルバイトの女性。列車は6人一つの個室コンパートメントになっていて、片側に廊下、そこにも椅子が出るようになっていて景色が良く見え快適であった。ちなみにこの列車はモーツアルト号。昼食は駅で買い込んだパンと牛乳、そしてバナナ。私のコンパートメントには、夫と二人だけであった。ザルツブルグに降りるとJTBのガイドさんが待っていてバスで観光の始まり。
フシュル湖(水質キレイ)、修道院(サウンドミュージックのマリアが丘の上で歌って戻った所)、ボルフガン湖
ザンクトギルゲン(モーツアルトゆかりの地ー母のアンナマリアが生まれ、姉が生活していたところ)、モントゼー,聖ミヒャエル教会(マリアの結婚式が行われた教会)
Wienの西駅 ザルツブルグへ コンパートメントに落ち着いて レジデンツ広場

ヴォルフガング湖畔でカモと戯れる私 ミラベル庭園


モーツアルトの生家 ザンクトギルゲン ザルツブルグの大聖堂の中 ラベル庭園ーサウンドミュージック
の映画に出ていたトンネル

帰りは18:05 ザルツブルグ中央駅発EC65号の2等車でWien駅に着いたが、私たち夫婦はコンパートメントの中で横になり、ぐっすりと寝込んでしまっていた。隣のコンパートメントの乗客に起こされる。この旅は6年前になることから、かなり解らなくなっていて記録としては不十分のように思えてきた。


5月7日 北Wienの森 地下鉄とバスと徒歩で。初めカーレンベルグの丘へ行って景色を眺め、帰りはベートーヴェンハウスベートヴェンの散歩道を通りハイレゲンシュタットの駅まで歩いた。この後、地下鉄でシュタットパークへ(ヨハンシュトラウス像、シューベルト像)そして、ヴェルベデーレまで歩く。帰りはカールプラッツからホテルへ。昼食は、シュタッッツパークで初めて美味しい昼食となった。ウイーンの生活になれてきたのだろうか注文も出来るようになっていた。ヴェルベデーレでお土産を買う。夕食は、日本料理の店にした。日本料理はウイーンの人に人気があるようで混んでいた。部屋のフロアーやグラスが汚れていたので、英語でメモしてフロントに渡す。
ベートーヴェンの散歩道が近い通り  ウイーンの森(北) カーレンベルクの丘へ ブドウ畑が左手に


Heiligenkreuz(church)で結婚式を挙げられて出てきた花嫁さんをGet!
パイプオルガンの演奏が外に漏れていたので待っていたら見られた。


ベルヴェデーレ宮殿 公園のヨハンシュトラウス像 ベルヴェデーレ宮殿の正門


ベルヴェデーレのスフィンクス
ベルヴェデーレ周辺の様子
ベートーヴェンの像 ブルックナーの住んでいた家

5月8日 シェーンブルン宮殿へ午前中行く。 午後、ウイーンの南の森へJTBのバスで観光。
     
お土産をいろいろ買ったのは、ここが一番多かった。ウイーンノ森のケーキとカフェオレは今も忘れられない
ほどに美味しかった。

宮殿から歩いて30分の グロリエッテ グリュースゴット(こんにちわ)と声かけした後、楽しく会話してきた遠足途中の子供達 シェーンブルーン宮殿正面入り口

グロリエッテの上に行ったが、ガスっていて遠景が見えなかった グロリエッテと宮殿の間を往復すると1時間 マリアテレジア・イエローの外壁

旅行をしてからの時間が経ちすぎ、記憶がかなり薄れていて良くないことが反省として残る。